ウィンチェスター大聖堂はイングランド国教会の大聖堂で、ノルマン様式とゴシック様式の融合が見られます。この聖地はウェセックスの中心地にあった7世紀の小さなアングロ・サクソン大聖堂「オールド・ミンスター」として始まり、何世紀にもわたって神を崇拝し毎日礼拝が行われてきました。キリスト教が初めてイングランドに伝わった7世紀に設立されたため最も古い教区の1つです。
ウィンチェスター大聖堂の特徴
イギリス・ウィンチェスターにあるウィンチェスター大聖堂は、ヨーロッパで最長の中世大聖堂とされています。内部には早期イングランド王族の棺や主祭壇、小礼拝堂などがあり、宗教、政治、文化の中心地として栄えました。大聖堂の北側(前身のオールド・ミンスター)にはかつてウェセックス王とイングランド王、司教が埋葬されていました。
建築様式: ウィンチェスター大聖堂はノルマン様式(ロマネスク様式)とゴシック様式の融合が見られる。特に西正面のファサードはゴシック様式の影響が強く、豊かな彫刻や装飾が施されている。
長さと規模: 大聖堂は非常に長く、ヨーロッパ最長の中世の大聖堂と称されている。内部には多くの礼拝堂や聖なる場所があり、歴史的な墓石や記念碑も多数残っている。
窓とステンドグラス: ウィンチェスター大聖堂には豊富なステンドグラスがあり、特に13世紀のものが著名である。ゴシック様式の窓は美しく、多彩な色彩で描かれている。
ウィリアム・ウォーカー: 20世紀初頭に行われた大規模な修復の際、水没対策としてウィリアム・ウォーカーによって沈下した基礎の補強が行われた。彼の功績は大聖堂内に記念されている。
ウィンチェスター大聖堂(フロア)
西正面:ビジター入口
ステンドグラス:ゴシック様式の窓と美しいステンドグラス 身廊:ヨーロッパ最長だと言われている 聖歌隊席:ウィンチェスター大聖堂聖歌隊、音楽イベントなど 主祭壇:英国国教会の典礼と礼拝が行われる場所 霊安室(棺):イングランド王や王族の埋葬地として知られる 聖骸布礼拝堂 小礼拝堂 大理石洗礼盤 ウィリアム・ウォーカー ジェーン・オースティン
*ウィンチェスター大聖堂は、イギリスの女流作家ジェーン・オースティンの葬儀と埋葬が行われた場所でお墓があります。 |
ウィンチェスター大聖堂 Kings and Scribes(王と書記)
ウィンチェスター大聖堂の南翼廊にある王と書記展では、ウィンチェスター大聖堂の歴史をアングロ・サクソンの起源から現代まで辿ります。
1階:12世紀の英国で最も優れた聖書のひとつである壮大なウィンチェスター・バイブルを見て、中世の写本がどのように作られたか発見しよう。 |
1階(中二階):聖スウィサン修道院の修道院生活を探検し、カテドラル・アーカイブから詳細な中世の記録をご覧ください。 |
モーリー図書館(中二階):中世から現代に至るまで、多種多様な印刷物や手書きの資料が保管されています。(神学、歴史、地理、自然科学、政治、文学など) |
2階(トリフォリウム階):展示の最上階では、ウィンチェスター大聖堂のアングロ・サクソン時代の起源から現代までの歴史に触れることができます。大聖堂の霊安室の棺の秘密を解き明かし、何世紀にもわたって作られ、破壊され、作り直されてきたノルマン大聖堂の進化を発見してください。 |
12世紀イギリス写本装飾芸術を代表する大型の写本で(手書きによって本を写す)ヘンリー・オブ・ブロア司教のもと制作が始められました。特にビサンチン(ローマ帝国)美術を反映しています。
ノルマン朝初代イングランド王ウィリアム1世(ウィリアム征服王)の命により1079年に大聖堂の建設が始まりました。前身は大聖堂の北側に7世紀頃建てられたオールド・ミンスターで、ノルマン・コンクエスト(1066)後の1093年に取り壊されました。
ウィリアム征服王やノルマン・コンクエストは以下の記事で解説しています。
リンカーン大聖堂はイギリスのリンカンシャーにあるゴシック様式の大聖堂で、11世紀初頭に建設が始まり主に12世紀から14世紀にかけて建設されました。最初の大聖堂は1068年から1072年にかけて建てられ、その後何度か改築が行われました。リンカ[…]
住所:9The Close, Winchester, Hampshire SO23 9LS
行き方:ロンドン・ウォータールー駅から電車で約1時間
オフィシャルサイト
https://www.winchester-cathedral.org.uk/
ウィンチェスター大聖堂の歴史
建立と発展: ウィンチェスター大聖堂は1079年にノルマンディー公ウィリアム1世(ウィリアム征服王)によって建てられた。それ以前には同じ場所に既に初期キリスト教の教会が存在していた。
王の墓所: 大聖堂は多くのイングランド王や王族の埋葬地として知られています。ウィンチェスター大聖堂の前身オールド・ミンスターにはアルフレッド大王が埋葬されていました。
文化的重要性: 中世から現代に至るまで、ウィンチェスター大聖堂は宗教、政治、文化の中心地としての役割を果たしてきた。その豊かな歴史と建築様式から、多くの観光客や歴史愛好家が訪れる場所となっている。
大聖堂で行われた歴史上の出来事
1042年 ハーザクヌート王の埋葬 |
1043年 エドワード懺悔王の戴冠式(最後のアングロ・サクソン系君主) |
1172年 若ヘンリーとマルグリット・ド・フランスの戴冠式 |
1194年 リチャード1世の2度目の戴冠式 |
1403年 ヘンリー4世とジョーン・オブ・ナヴァールの結婚式 |
1554年 メアリー1世とフェリペ・デ・アウストリア(のちのフェリペ2世)の結婚式 |
1817年 作家ジェーン・オースティンの葬儀と埋葬 |
ウィンチェスター大聖堂とアルフレッド大王
アングロ・サクソン七大国とは、中世初期にグレートブリテン島に侵入したアングロ・サクソン人が建国した七つの王国のことを指す。アルフレッド大王はウェセックスの王でした。また、イングランドのほぼ全域を支配したアングロ・サクソン時代最大の王で、イギリスの歴史において大王と称されていました。
- ノーサンブリア王国:イングランド北東部を支配したアングル人の王国
- マーシア王国:イングランド中央部を支配したアングル人の王国
- イースト・アングリア王国:イングランド南東部を支配したアングル人の王国
- エセックス王国:イングランド南東部を支配したサクソン人の王国
- ウェセックス王国:イングランド南西部を支配したサクソン人の王国
- ケント王国:イングランド南東部を支配したジュート人の王国
- サセックス王国:イングランド南東部を支配したサクソン人の王国
5世紀頃、現在のドイツ北岸からグレートブリテン島南部に侵入してきたアングル人、ジュート人、サクソン人のゲルマン系3民族のこと。彼らの言葉が英語の基礎となった。
まとめ
ウィンチェスター大聖堂の建つ聖地は、7世紀頃ウェセックスの「オールド・ミンスター」として始まり、1079年にウィリアム1世(ウィリアム征服王)の命により大聖堂の建設が始まりました。大聖堂にはウィンチェスター・バイブルが保管され、イングランド王族やジェーン・オースティンが眠る墓所として歴史的価値があります。また映画ダ・ヴィンチ・コードの撮影にも使用されました。